健康落語の立川らく朝

プロフィール

健康落語の立川らく朝 > プロフィール

プロフィール

立川らく朝
立川らく朝
落語家・医学博士
笑いと健康学会理事
日本ペンクラブ会員

昭和29年1月26日、長野県に生まれる。
昭和54年、杏林大学医学部卒業。慶応義塾大学医学部内科学教室へ入局。
主として脂質異常症の臨床と研究に従事。
慶応健康相談センター(人間ドック)医長を勤める。
平成12年、46才にして立川志らく門下に入門、プロの落語家として活動を開始。
平成14年、都内に内科クリニックを開設。
平成16年、立川流家元、立川談志に認められ二つ目昇進。
平成27年4月落語立川流真打トライアルにて優勝、10月真打昇進。
現在、健康教育と落語をミックスした「ヘルシートーク」、「健康落語」、「健康噺」、「健康一人芝居」という新ジャンルを開拓。マスコミなどで評判となり全国での公演に飛び回る毎日。また「健康情報を笑いを交えて提供する」というコンセプトで全く新しい講演会を精力的に開催。

以下は、私の詳細なプロフィールです。
本名 福澤恒利
生年月日 昭和29年1月26日
出身 長野県飯田市
主な公職(歴任)
  • 厚生省HIV疫学研究班員
  • 労働省・職場におけるエイズ教育手法検討委員会委員
  • 巡回健保コンサルタント(健康保険組合連合会)
  • エイズ対策企業懇話会事務局長
経歴
昭和29年
1月26日、大雪の日に長野県飯田市で生まれる。
昭和54年
杏林大学医学部卒業。同時に慶応義塾大学医学部内科学教室へ入局。
主として生活習慣病(成人病)、動脈硬化症および予防医学の臨床と研究に従事。
学位論文は、脳血管障害におけるLDLコレステロール代謝の異常について。
平成2年
慶応義塾大学医学部老年科学教室に移籍
平成3年
慶応健康相談センター(人間ドック)医長兼務
平成4年
慶応義塾大学を辞任。メディカルサポート研究所を設立。
平成6年
企業のエイズ対策についての企業間の勉強会、情報交換会であるエイズ対策企業懇話会を設立。
以後事務局長を兼任。
平成10年
4月1日、44才で立川志らく門下に客分の弟子として入門。落語家としても活動を開始する。
平成12年
3月30日、立川志らく門下に本来の弟子として、46才にして改めて入門し直す。
かくしてプロの落語家として、前座修行を開始する。
平成16年
1月2日の立川流新年会において、歌舞音曲、講談を披露し、家元立川談志にその芸を認められ、
4月1日、二つ目に昇進する。
平成27年
4月、落語立川流真打トライアルにて真打昇進決定(平成27年10月1日付)となる。
落語との関わり
子供時代
長野県で生まれ育ったため、落語との接点はほとんどなし。ただ、ごくたまにラジオで聞こえてくる大喜利を「なんて面白いんだろう」と思った記憶がある。でもほとんど聞くチャンスすらなかった。
中学生の頃テレビで寄席中継を見るようになり、ようやく落語の魅力を知るようになる。若き日の談志師匠を初めてテレビで見たのもこの頃のこと。
高校時代
高校は東京の成蹊高等学校。演劇部、文芸部、美術部を掛け持ちし、芝居の稽古の帰りや打ち上げなどでは、よく制服を鞄に入れて夜の吉祥寺を飲み歩いたものだ。
土日は新宿の末広亭によく通った。今輔師匠のおばあさんを始めとして、先代柳橋師匠の枯れた芸や先代助六師匠のあやつり人形の踊りなんかを一番前で見ていた。
一度だけ末広亭での円生師匠の高座を見たことがある。演題は「角力風景」で比較的軽いネタだったが、その時の感激は今でも忘れない。その観客を引きつける強烈な力に、とにかくものすごい人だと、ただただびっくりしたものだった。
高校3年の文化祭、洒落で寄席を開いた。これが落語を演った最初。
大学時代
芝居がやりたかったのに演劇部がなかった。でも芝居は総合芸術で、演劇部なんてものはおいそれと創れるものではない。仕方がないので自分で落語研究会を創設した。落語は個人芸で、芝居と違って金もかからない。それに第一、落語が好きだった。
集中して落語を始めたのはこの時から。もっとも見様見真似で、後輩へは自分で落語を教えていた。当時の芸名は「雨屋鳥袖露」。
聞く方は、落研の友達とホール落語に通う。国立劇場の落語名人会や東横落語会はよく行ったものだ。本格的な名人芸を堪能したのはこの頃。今はなき名人たちの噺を聞いておいて本当によかった。
大学3年の時、私立医科大学5校で関東医科学生落語連盟を創設。第1回の連盟の寄席を四ッ谷公会堂で行い、トリで「明烏」を演る。
ちなみに引退公演は三鷹公会堂で「らくだ」を演った。
社会人になってから
年に1回落研OBで寄席を開く。名付けて「ご縁の会」。みんないつまでもご縁が続きますようにと名付けたOB寄席だ。
3回目からは上野の本牧亭で開催。8回続いたが、ご存じの通り本牧亭が上野から移転、それまでの拠り所を無くしたOB寄席も自然消滅。ご縁の会は以来飲み会となってしまった。その後は約10年近く落語との縁はプッツリとなくなってしまう。
メディカルサポート研究所の設立やら何やらで忙しく、時間的、精神的余裕がなくなってしまい、落語を聞くこともなければ、もちろん高座に上がることも一切なくなってしまった。
平成8年12月、ある切っ掛けから立川志らく師匠の主宰する勉強会「らく塾」に入会。再び落語との付き合いが始まる。
以後の経過は、「入門までの経緯」を御覧ください。
入門までの経緯
入門を決意するまで
いつもそうだったのだが、一定以上酔っぱらうと「俺はなぜ落語をやっていないんだ」という自問自答が始まった。
酒で理性が薄れ抑制が取れた時、やりたいことを成し得ていない自分を責めるもう一人の自分が現れて、しきりに耳もとで囁くようになった。
「落語やれよ。いったい何やってんだよ。」
そんな時に出会ったのが、立川志らく師匠の「らく塾」。志らく師匠の落語理論を聞いたり実技(落語)をしたりという、月1回の落語好きの集まりである。
入会して約1年後、「やっぱりプロでやりたい」という思いはますます強くなる一方。ついに意を決して、志らく師匠に入門を申し込んでしまった。平成10年3月のことである。
ついに客分の弟子となる
しかし入門を申し込んだとはいえ、もはやまともに前座修行ができる環境ではない。カミサンも子供もいて、しかも年令が44才という中年のオジサン。今さらねえ・・・、である。
最初は「とても無理ですよ」というのを「そこを何とか」と食い下がった。ここで断られたら、もうプロへの道は断たれたも同然である。
ついに志らく師匠の厚意で「じゃあ客分の弟子ということで落語を教えましょう。」ということになった。
「プライベートレッスンということで月謝を取ります。でも高座に上がれる保証はありませんよ。それでいいですか?」
もう願ったり叶ったり。「是非宜しくお願いいたします。」というわけで、ようやく「客分の弟子」ということで入門が許された。
「でも、入場料を払ってくれるお客さんを自分の落語で呼べれば、それはもう実質的にはプロと同じこと。今はもうアマチュアもプロもない時代ですよ。だから頑張りなさい。」
こう言ってくれたあの時の志らく師匠の言葉、今でも覚えている。
立川らく朝の誕生
入門は平成10年4月1日。
客分の弟子だなんて、師弟関係の厳しい落語界で滅多に許されることではないのだが、これも全て志らく師匠の厚意によるもの。
当時の私の語り口が志ん朝師匠に似ていた(別に真似していたわけではないのだけれど)ことから、志らく師匠の「らく」と、志ん朝師匠の「朝」をいただくことになって、「らく朝」となったというわけ。
考えてみれば誠にもったいない話で、素晴しい名前をいただいたもの。
プロとして再入門
2年近く「客分の弟子」として、楽屋やら客席やらホールのベンチやら、時には高座やらと、落語会場の周辺に何となく存在していた私。でもその間にネタ数は50を越え、師匠から「客分の弟子だけど、そろそろ二つ目に」と言っていただいた。
ちょうどそんな頃、立川企画(立川流の事務所)の社長から、「もしその気があるのならプロでやってみないか」というお誘い。つまり希望すれば、本来のプロの弟子としての入門を許可しましょう、ということ。師匠もそのことに反対はしていない。
さあ、迷った。もちろんプロでやれる道が開けたのだから、これは当然喜ぶべきことには違いない。しかし・・・
「好きな道だ、やれるところまでやりたい気持は山々なれど、今更なあ。今の仕事と両立できるのかしら。いくらなんでもキツ過ぎるよなあ。どうしようかなあ。」
3ヶ月も返事をしないで悩んでた。そんなある日師匠から
「あ、そうそう、そういえば、あの話どうするの?」
ほとんど立ち話。心の準備もできていないまま、反射的に
「お願いします。」
なんと衝動的な決定をしたものか。でもいつも心のどこかで、「やれ、やれ」と誰かが叫んでた。その声に、きっと逆らいたくなかったのだと今では思ってる。
人生は人智では計れない可能性を秘めているもの。なまじ小賢しい決定をするより、こうなったら衝動に身を任せてみるのも一つの選択だと、かなり無責任な言い訳をして納得。46才の春でした。
まあ、とにもかくにもそんなわけで、平成12年3月30日に晴れて(?)プロとして再入門させていただいた。
それにしても、この年齢のおじさんを弟子にしてくれようというのだから、本当に有り難い話。社長や師匠の気持を裏切ることのないよう、これからも稽古に精進しなくてはと、日々思っている。
二つ目昇進
立川らく朝 その後、平成16年1月2日、立川流新年会の席上で、歌舞音曲(小唄、都々逸、端唄、日本舞踊、講談)を披露、立川流家元の立川談志師匠から「よし、合格だ」のお言葉を頂戴し、晴れて二つ目昇進のご許可をいただいた。
同年4月、新宿の明治安田生命ホールにて、二つ目昇進の披露目の会を開催。
その後、「ヘルシートーク」、「健康落語」に続き、「健康一人芝居」を開始、また落語と新内と鳴り物とのコラボレーション「お染金蔵恨桟橋(改作品川心中)」をかけるなど、懲りることなく様々な新分野に挑戦を続けている。


真打に昇進
真打昇進 立川らく朝 家元・立川談志亡き後、立川流は真打昇進につき新しい試みを開始した。それは「真打トライアル」。
平成26年当時、真打候補となった二つ目5人が、全員揃って落語会を行い、お客様に「だれが一番真打にふさわしいか」を投票で決めてもらう。そのトライアル落語会を6回にわたって開催し、トータルの投票の獲得数が一番多かった者は無条件で真打に昇進。それ以外の4人の昇進の是非については、立川流の理事会が協議をして決める、ということが決定された。
さあ、平成26年10月に第1回の「立川流真打トライアル」なるものがスタート。そして約半年後の平成27年4月4日、最終決戦が行われ、立川らく朝が得票数総合一位で優勝、おかげ様で真打に昇進することが決定。他の4名も全員、理事会の決定によって同時に真打昇進ということになった。
かくして、平成27年10月1日付けをもって、立川らく朝は真打に昇進した。

これもみなひとえに、師匠志らくをはじめ、立川流の先輩方、ご支援くださった皆様方、会場にお越し下さったお客様方のおかげでございます。本当に有り難うございました。

プロフィールはひとまずこれまで。
これからもらく朝の活動は続きます。その活動は、HP、あるいはSNSでお知らせしてまいります。今後とも、らく朝を見守ってくださいますよう、どうぞおよろしく願い申し上げます。
主な著書
  • 落語で不調を改善! 笑って自律神経を整える(エイ出版社編集部)
  • ドクターらく朝の健康噺(春陽堂書店)
  • 笑いの診察室 ─ らく朝健康噺 ─(春陽堂書店)
  • 笑えば治る 立川らく朝の 健康ひとり語り(毎日新聞社)
連載コラム
現在連載中
  • 「ドクターらく朝のけんこう井戸端談義」(大法輪/大法輪閣)
連載終了
  • 「わかっちゃいるけど」(日経グッディ)
  • 「四季けんこう」(社会保険出版社)
  • 「自然といっしょに」(カゴメ)
  • 「立川らく朝の 健康落語で元気に生きる」(日刊ゲンダイ土曜版/月1回)
  • 「ドクターらく朝の 健康一人語り」(毎日ライフ)
  • 「らく朝のヘルシートーク裏話」(保健婦雑誌/医学書院)
  • 「ドクター福沢の見える救急箱」(テレビ朝日データ放送/ADAMS)
  • 「健康いろはカルタ」(医事通信/日本医療事務センター)
  • 「立川らく朝の間違いだらけの健康法」(コレカラ/リクルート)
  • 「健康落語・津々浦々」(公衆衛生情報/社会保険研究所)
ブログ